介護と私の転機

介護

人生は予測不可能  私もその一人でした

父の介護の中、母の病気が見つかり、私は家族を優先するために、仕事を辞める決断をしました。それが、私の人生にとって大きな転機となりました。このブログでは、私が経験した介護の現実と家族の絆について綴ります。

介護は予測不可能な人生の転機となります。私もその一人でした。ある日、母の定期検査結果が飛び込んできました。「食道がん・肺がんの疑い。直ちに精密検査を受けてください」と医師から告げられました。この突然の出来事は、私の予想をはるかに超えるものでした。

しかし、精密検査を繰り返した結果、母に「食道がん・肺がんではない」という診断が下されました。その瞬間、私は喜びと同時に、複雑な感情に包まれました。病気でなかったことは嬉しいけれど、喜んでいいのか。やめた仕事はどうなるのか。仕事、続けたかったなぁ・・・。家族のために決断を下し、病気と向き合おうと腹を決めた矢先の出来事でした。

ただ、当時の状況は、何かと我慢強い母でしたが、やはり日中の父の介護はかなり負担になっていました。それに、母はこの頃、軽度の認知症の診断もされました。そのため私は、仕事はせずに、母と共に父の介護に取り組む事にしました。今思えば私達にとって、このタイミングで仕事を辞めたことは、良かったことかも知れません。

父の介護に専念する日々は、決して容易ではありませんでした。毎日が勉強で、毎日が反省でした。しかし、父と母と私の3人の間には、これまでにない絆のようなものができていました。仕事を辞めてから、父が亡くなるまでの半年間は、あっと言うまでした。この間、自分なりに父親孝行をする事ができた、貴重な時間となりました。

父の最期の日、父の最後の希望である、自宅で最期を看取ることができました。父の頬はうっすら赤みを残したまま、穏やかな顔で、静かに息を引き取りました。悲しみで胸がいっぱいになりましたが、それだけではありませんでした。父の人生の伴走者として、母と私が最後まで一緒に走りぬく事ができたからでした。介護はその時、私の人生の中で(こういう時に使っていいのかわかりませんが)、かけがえのない時間に生まれ変わりました。

母は、介護の中で、日々の汚い作業も、嫌な顔ひとつしませんでした。むしろ申し訳なさそうにする父を、最後まで励まし続けていた姿は、今でも私の目に焼き付いています。人として大切なものを、言葉ではなくその行動で、たくさん教えてもらう事ができました。私は母の横で、異臭に耐え、必死で吐き気を我慢しながら、手伝っていました(泣)。

父の介護に関わる大変な瞬間や思い出も、時間とともに思いだせなくなります。当時は必死で頑張っているつもりでしたが、後悔もたくさんあります。ですが不思議な事に、当時を振り返ると、今では父の笑顔しか思いだせなくなりました。

私のブログでは、介護の現実と家族の絆について、率直に綴っていきます。そして、介護を始められた方に、少しでも有益な情報をお届けできるよう、努めて参りたいと思います。

親の介護が必要になった場合  まず最初にすることは

介護が必要な親が住む市町村窓口や地域包括支援センターに相談することです。
その後、以下のようなステップがあります。

1. 誰がどこで介護するか、家族の役割分担を話し合う
2. 地域包括支援センターや市町村窓口へ相談する
3. 介護保険サービスを使う場合は、要介護認定を受ける
4. 介護の一番の理解者ケアマネジャーを決める
5. 必要な介護サービスは何か、ケアプランを作成する
6. 介護サービスを利用する

介護保険の使い方については、要介護認定を受けることが必要です。要介護認定には、要支援1~2、要介護1~5の7段階があり、利用者の心身状態がどの程度介護を必要としているかによって判定されます。この介護度によって、受けられるサービスや介護保険の支給限度額が変わります。

詳しい情報は[こちら]

ソース:
(1) 【初めての介護】親に介護が必要になったら?サービス利用 ….
(2) もし親の介護が必要になったら?介護サービスの仕組みと利用 ….
(3) 押さえておきたい介護の基礎知識〜初めて介護をする方向け ….

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